DAY1:日本橋~日比谷神社(その3)
(京橋)ー銀座ー新橋(烏森神社)
京橋の親柱を後にして西に進みます。
左手にコージーコーナーが見えてくると、いよいよ銀座の街並。
銀座のお店が開く前、さらにコロナ禍のせいで人通りはまばらです。
銀座の一丁目から八丁目を歩くわけですが、
それほどの距離はありません。
一丁目から四丁目の交差点も、あっという間の距離です。
コロナ以前には、時々呑みにも来ていた銀座ですが、
最近は全く足を踏み入れないエリアになっていました。
久しぶりの和光です。
向かいに銀座三越の端だけが見えています。
(あまりの暑さに三越の写真を撮り忘れました)
四丁目交差点には、日産のショールームNISSAN CROSSINGも。
いつ見ても、かっこえぇ車が展示されています。
NISSAN CROSSINGの中央通りを挟んだ向かいには、
リコーの創業者、市村清が建てて、後に改築された三愛ビル。
正式には『三愛ドリームセンター』という名前らしいです。
この日は、TOKYO2020開幕ということもあって、
リコーの看板の上空にはヘリコプターも飛んでいました。
(写真でも、すごく小さくですが写っています)
新橋方面へ少し進んで銀座五丁目交差点。
この後、銀座六丁目交差点付近、銀座ライオン、ZARA銀座で日本橋から2km地点。
2/492kmです。
【芝口御門跡】
中央通りを銀座八丁目まで歩いてくると高速の高架にぶつかります。
銀座八丁目交差点;中央通りと御門通りが交差。
高架下には、肉のハナマサがありますが、日曜日の朝から買い物客で賑わっています。
この交差点を左に曲がって御門通りを少し進むと『芝口御門跡』の木札が、
芝口御門の石碑とともにひっそりと立てられています。
1710年(6代将軍 徳川家宣・今から311年前!)の建設。
朝鮮通信使を迎えるにあたっての新井白石の建言がきっかけになったようです。
1724年には火災で焼失して再建されなかったということですから、
御門が存在したのは、たったの15年ということになります。
(札の辻からの移設という説もあるようですが・・・)
徳川家宣は6代将軍ですから、5代将軍綱吉の後ですね。
綱吉といえば『生類憐れみの令』、お犬様・・・
この生類憐れみの令も、綱吉は途切れさせずに続けるようにと遺言したようですが、
家宣が将軍になって一部を残して廃止しています。
そんな家宣は、1709年に48歳で将軍となるも、
3年後の1712年に50歳で亡くなっています。
芝口御門を後にして、中央通りに戻ると、そこは新橋。
元は汐留川にかかっていた新橋(今は橋はなく、親柱のみ)にたどり着きました。
ここからは、ちょっと寄り道をして『烏森神社』に向かいます